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さよなら絵梨

『さよなら絵梨』の「嘘」をどう読むか。語り手と読者のすれ違い

『さよなら絵梨』を読み終えて最初に湧くのは、「感動した」より先に「待って、今のどこまで本当だったの?」という落ち着かなさです。藤本タツキはこの作品で、嘘を“バレてはいけないもの”としてではなく、現実を見られる形に作り変える編集作業として扱っ...
作家論

メタフィクションとしての『さよなら絵梨』と『ルックバック』。藤本タツキはなぜ「描くこと」を描くのか

『ルックバック』と『さよなら絵梨』を続けて読むと、藤本タツキが同じ問題を二度、別のやり方で解こうとしているのが見えてきます。どちらも「作品を作る人」を主役にした話で、しかも作っている当人が大切な誰かを失う。そのうえで、片方は現実をフィクショ...
チェンソーマン

チェンソーマン・岸辺はなぜ「最強のデビルハンター」と呼ばれるのか

『チェンソーマン』を読み返すと、岸辺だけが妙に浮いて見える瞬間があります。アキもマキマも、誰かを守ろうとして物語に飲み込まれていくのに、岸辺だけは最後まで生き残り、しかも勝つべきところで勝っている。彼の「最強」は派手な能力の話ではなく、守ら...
短編集

藤本タツキ短編集『17-21』『22-26』全8作ガイド。鬼才の原点を読み解く

『チェンソーマン』のデンジが犬の悪魔ポチタと暮らし、『さよなら絵梨』の優太がカメラを手放さない。藤本タツキの長編には、いつも「何かに化けた身体」と「ジャンルが途中で裏切る瞬間」が仕掛けてあります。あの仕掛けは、いきなり完成したわけではありま...
作家論

藤本タツキに影響を与えた映画10選。本人が公言した「大好き」リスト

藤本タツキの漫画は「映画の文法」でできている『チェンソーマン』を読んでいて、「あ、これ映画でしょ」と思わず口に出した経験、ありませんか。ただ、藤本タツキが映画から受け取ったのは「何を描くか」という題材ではないと思うんです。受け取ったのは「ど...
作家論

ファイアパンチからチェンソーマンへ。藤本タツキの何が変わって、何が残ったのか

『ファイアパンチ』と『チェンソーマン』を続けて読むと、よく言われる「家族の喪失」「過剰な暴力」「映画的な演出」が両方にある、という共通点リストが浮かんできます。でも、それを並べただけでは、なぜ前作で多くの読者を振り落とした作家が、次作で一気...
作家論

藤本タツキの主人公は、なぜみんな「家族」を失っているのか

藤本タツキの主人公が家族を失っているのは事実です。ただ、ここで一歩踏み込みたいのは、その喪失が「過去の傷」では終わらない点です。デンジもアグニも優太も、失った家族が背中に貼りついたまま、その後始末をさせられ続ける。藤本タツキにとって家族の喪...
チェンソーマン

マキマの正体と目的を考察。チェンソーマン第一部の核心

マキマがいちばん怖いのは、世界を支配しようとしたからではありません。彼女が他人と「対等」になる方法を、最後まで知らなかったからです。『チェンソーマン』第一部を読み返すたびに引っかかるのが、ここなんです。圧倒的な力を持ち、人類すべてを束ねよう...
ファイアパンチ

『ファイアパンチ』徹底解説。藤本タツキの原点にして問題作

『ファイアパンチ』をひとことで説明しようとすると、たいてい詰まります。「復讐の話」と言いかけて、いや途中から復讐じゃなくなる、と言い直すことになるからです。でも、ぼくはこの「説明しづらさ」こそが本作の正体だと思っています。『ファイアパンチ』...
ルックバック

『ルックバック』はなぜ人を泣かせるのか。藤本タツキの最高到達点を読み解く

『ルックバック』で泣いた人に「どこで泣いた?」と聞くと、答えがきれいに割れます。藤野が雨の中を一人で踊りながら帰る場面。京本が「私は藤野の漫画のファンなんだ」と告げる場面。あの一枚のドアと、その向こうのIF。場所はバラバラなのに、流す涙の正...
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